大阪都構想

TIPS1

戦後の地方制度の動き

この大都市制度の議論は、戦前からずっと続いているものであり、何がベターなのか常に模索してきた歴史があります。
1943年帝都の一体性を確保すべく東京都政が導入されました。当時の東京府・東京市を一体化した東京都を設置する、集権的な制度設計となりました。

戦前から特別市運動が行われており、こちらは府県から市が分離・独立する考え方でありましたが、東京都政はこれと正反対の制度設計となったわけであります。
戦後特別市運動はなお活発となり、府県側は都政を望み、市側は特別市としての分離独立を望みました。
ただここまで議論が白熱した背景としては、府県側も市側も二重監督問題や府市の一体性を保つ必要があることは認識しており、それぞれが違うアプローチで解を提示しようとしたことであります。
結局特別市設置に関する住民投票の対象が府県民とした見解を政府が示したことから、特別市運動はとん挫し、妥協の産物として政令指定都市制度ができたというのが歴史的な経緯であります。